注意
※キメツ学園卒業後現パロ。お付き合いしてます。糖度高め。捏造多々注意。※原作軸とは平行世界仕様。前世等ではありません。
白雪の彼女
「毒林檎を食べて死んでしまったお姫様は王子様の口付けによって奇跡の生還を遂げるのですよ」
胡蝶しのぶは今にも冨岡さんはそんなこと知らないでしょう? と言いたげに得意そうな表情をしながら語った。
「…………」
「反応悪いですね。何とかおっしゃったらどうなんですか。興味なかったですか。そうでしょうね、冨岡さんは」
冨岡義勇が黙ることは決して珍しくない。何でも喋るのが嫌いらしい彼は必要なこと以外ほとんど喋らなかった。しのぶの声だけが冬空の下に淡々と響く。今日は今にも雪が降り出しそうなくらい一段と寒い日だった。彼女が喋る度に白い息がふわりふわりと生成され、泡沫の如く消えていく。冨岡は隣を歩くしのぶを見ているのか見ていないのか、或いは故意に見ないようにしているのか、彼女には分からなかった。ただ言えることと言えば冨岡は真面目の堅物だった。冗談が通じるような男ではなかった。だからこそ、逆にしのぶにとっては興味深かった。言い換えれば、揶揄い甲斐のある人物だった。
しのぶは沈黙を続ける冨岡の背中をつんつんと人差し指で小突く。冨岡は観念したようにため息を大きくひとつ零し、いつもは釣り上がった眉を釣り下げようやく口を開いた。
「……興味がなさそうなのはどちらかと言えばお前の方だが。胡蝶」
「はい?」
しのぶは首を傾げながら不思議そうな顔をする。思いもよらぬ冨岡の返しだったからだ。彼女は彼に一刀両断されると思っていた。下らないと言われると思っていた。まさか意外な方向から食い下がってくるとは。もしかしたら脈ありなのかも知れない、としのぶは思考を巡らせる。
「お前はそんな非科学的なことを信じるような人間ではないだろう」
しのぶは頭脳明晰だった。特に薬学には精通しており、高校に通っていた頃は薬学研究部に所属し、そのまま大学も薬学部に進学した。そんな彼女なので、息絶えた生命の復活――それも口付けで――を信じるなど冨岡には考え難いことだった。ただし、しのぶは突拍子も無いことを言ってくることも多々あったので、彼は彼女に対して常に警戒心を抱いていた。冨岡義勇に胡蝶しのぶの思考を理解することは難しいことだった。彼が彼女を理解するよりも、駱駝が針の穴を通る方が容易いのかも知れない。そのくらい冨岡にとって隣の乙女の思考回路は複雑怪奇なのだった。尤も彼は彼女を理解しようなどとはこれっぽっちも思ってはいなかったが。理解出来ないものは理解しないことと彼は割り切っていた。だからこそ、警戒心を携えて彼女と接した。
「何をおっしゃるんです? 童話の中での話ですよ? そこに科学も何もありますか」
「そんなことは俺でも知っている」
冨岡はぶっきら棒に言う。
「あら、ご存知だったのですか」
失礼と零し、瞳をぱちくりさせたしのぶは茶目っ気たっぷりに自身の丸めた拳で頭をこつんと軽く突いた。
「でもこの童話、今でこそこのようなお話の最後になっていますが、伝承される内にどんどん変わっていってるんですよね。最初の物語だと、王子はあまりに美しい姫の死体を見て、死体でもいいから、いえ。死体だからこそ持ち帰りたいと言ったんですよ。人の性的嗜好にああだこうだ言うつもりはありませんが狂気ですよね。それが次第に王子のキスで姫が目覚めるお話が主流になった。人間はロマンチストですね。現実世界が厳しいからでしょうか。作り話に夢を見る」
冨岡とは対照的にしのぶはすらすらと言葉を紡ぐ。一呼吸も置かずに。しのぶはくすりと不気味とも思える笑みを浮かべた。冨岡にとってはそのしのぶの表情こそが狂気だと思えた。彼女は時折普段の花が綻ぶような笑顔からは考えられない表情を見せる。一瞬で世界を凍りつかせるようなその表情に冨岡は寒気さえ感じていた。それは冬の寒さとは全く性質の異なるものだった。しのぶの背丈は冨岡の肩にも届かなかったが、小さく華奢な身体でこれ程までに悪寒、その正体は恐らく恐怖──を感じさせるのだから大したものだと冨岡は彼女に感心していた。無論口には出さずに。代わりに他の言葉を発する。
「……夢を見るくらい別に。問題があるのか」
しのぶはまたしても意外な冨岡の返答に瞳を丸くした。
***
胡蝶しのぶは鬼を殺す毒の開発者だ。その功が認められて、彼女はやがて鬼殺隊の最高階級である柱となった。これは彼女が鬼の頚が斬れないことを考えれば異常事態である。それほどまでに彼女の執念は深いものだった。最愛の姉を鬼に惨殺されたあの日から──彼女の世界に色がなくなってしまったあの日から──彼女は姉に好きだと言われた笑顔の底に復讐心を隠して生きてきた。いつかどんな手を使ってでもそれを遂げる。たとえ何を犠牲にしても、自分自身が潰えたとしても、姉を殺した鬼を殺す。彼女はそのことだけを考えて生きていた。
彼女は研究を重ねるうちにある結論へと辿り着いた。自分の細身の刀に仕込んだ藤の花の毒で下弦程度の鬼を殺せるのであればひょっとしたら、と。彼女が藤の花の摂取を始めたのは凡そ一年前のことだ。最初は副作用が辛かった。身体が受け付けず戻したりもした。藤の花が鬼に有害である以前に人間にとっても毒があることは事実だ。しかし、調合の試行錯誤を繰り返すうち段々と苦しまないようになった。苦しさが軽減する度、彼女は目標に一歩近付いたと思うようにしていた。彼女の恨みと共に彼女の体内に蓄積されゆく毒。その毒で姉を殺した鬼を滅殺する。
鬼殺隊当主である産屋敷耀哉には毒の摂取を始めることを決めた時から話をしている。産屋敷はしのぶの気持ちを汲んでくれ、決してしのぶの決意を止めることはしなかった。とは言え、それ程の毒をもってしても姉の仇である上弦の弐を完全に殺すのは無理だろう、と厳しいことも言われた。それでも一縷の希望を託す。何故ならこんな世界で生きていくのは疲れたのだ。怒りで身体がどうにかなってしまいそうなのだ。どうせ壊れる身体であるのならば、せめて──と。胡蝶しのぶは今日も僅かな光を諦めない。
本懐を遂げることが出来たとしたのであれば恐らく自分は現世に塵一つ遺らないであろう。しかしこんな汚い気持ちに塗れてしまった自分は、それこそが運命なのかも知れない。或る鬼を殺すことだけを考えて生きているのだから。これでは鬼と大差ないのではないかと。しのぶは心の中で自分を嘲笑った。何が善で何が悪か。そんなことは分からないし、自分が決めることではない。ただ事実としてあるのは鬼は人間を喰らう。だから、自分は、鬼殺隊は、鬼を滅することを考える。姉が哀れんだように鬼は悲しい生き物だから。悲しみは絶たなければならないから。これ以上苦しむ人が増える前に。しのぶは信じていた。毒を以て毒を制す。これ即ち。
***
胡蝶しのぶが冨岡義勇を訪ねにきたのはある晴れた日のことであった。
「こんにちは、冨岡さん。柱稽古に参加されることになったようですね。何よりです」
数日振りに会った胡蝶しのぶは何だか以前見た時よりも痩せ細っているような気がした。気がするだけで気のせいなのかも知れない。記憶違いでなければ元々相当細い身体だった。どうしてだろう。少し記憶が朧げなのだ。とは言え、錆兎とのあのやりとりさえも忘れていたほどだ。忘れてしまっても無理はない。人は忘れていく生き物だ。それなのに忘れられないこともあるから、今こうして自分はここに居る。きっと目の前の少女、胡蝶しのぶもそうなのであろう。
彼女は今回の柱稽古に不参加なのだと鴉伝てにお館様から聞いた。何でも研究の方が忙しいらしい。形は違っても彼女もこの世から鬼を滅するために何かをしているのだろう。自分には分からずとも。痣の代償を考えれば、研究に没頭していた方が彼女のためなのかも知れない。もしかしたら鬼の殲滅後も彼女は生き残れるのかも知れない。その方が人間の為だ。彼女はそれ程の技術を持っている。冨岡は密やかにそう考えていた。
「炭治郎君は凄いですね。岩のように動かないこの人の心を変えることが出来たのですから。大したものです」
しのぶは青く澄みきった空の彼方を見つめていた。冨岡にはその視線が何処に向けられているのかは分からなかった。ただ、空は青いという当たり前の事実だけは無愛想な彼にも理解出来た。
「何故わざわざ会いにきた。研究が忙しいと聞いていたが」
冨岡の問いにしのぶは笑った。いつもの、あの笑顔だ。かつて胡蝶カナエが好きだと言ったあの──。
「そうですねえ。最近は鬼も出没しませんから嵐前の静けさのようで不気味ですよねえ。だからこそこの貴重ないとまを大切にしたいと言いますか。私たち柱ですから。これまでこういう時間はほとんどなかったですものね──つまり、冨岡さんの顔が見たくなったから会いにきたじゃ駄目ですか?」
「何故」
冨岡には彼女の意図も目的も見えなかった。自分の顔が見たいと言い出すなどとは皆目見当もつかなかったからだ。彼女のことは昔から不思議な娘だとは思ってはきたが、今日はこれまでにも増して様子がおかしかった。嵐前の静けさとは何のことか。鬼舞辻のことだろうか。そんなことは分かってはいる。だが、しかし。それだけではないのであろう。恐らくは。冨岡は得体の知れない胸騒ぎが止まなかった。
「私なりに冨岡さんのこと心配していたんですよ。会議の時あの様子でしたから。不死川さんも伊黒さんもかんかんに怒ってますよ」
「その節は」
冨岡は頭が上げられなくなった。その件に関しては冨岡自身も自分が悪いと思っていた。悪いと思いつつ、周りの人間と自分との差は果てしないもので決して埋められないことを今も変わりなく感じていた。錆兎なら、と未だ思ってしまう心を彼は止められない。しかし、こんな己でも錆兎の意志を、姉の意志を、継がねばならない。それ故に柱稽古への参加を決意した。そのことを竈門炭治郎に言われるまで気付かなかったのだから、何とも不甲斐ない。今後の余生、せめてもの罪滅ぼしが出来るのならば、もし自分に痣が発現する可能性が僅かでもあるのならば──と、彼は彼なりに稽古に励んでいる。
「少しでも元気になったのなら良かったです。しょんぼりしている様子でしたので」
しのぶは笑みを絶やさない。一方、冨岡は曇った顔をしていた。しのぶは言葉を続ける。
「──そんな冨岡さんに私から贈り物をさせていただきたいのですが」
冨岡は怪訝そうに顔を顰める。胡蝶しのぶが自分へ贈り物をしたいと言い出す等とは考えもしなかった。これは明日は雨でも降るのではないだろうか。否、「贈り物」というのは言葉の綾で、毒でも盛られているのではないだろうか。胡蝶しのぶは自分を殺しにきたのではないだろうか。冨岡は縁起でもないことを考えた。
「ふふ、警戒されてますね。大丈夫ですよ。毒の一滴も入ってませんから。安心してください」
しのぶは姉の形見である羽織に忍ばせていた包みを取り出す。
「これ、ハンカチです。使ってください」
冨岡は彼女の真意が分からないまま立ち尽くしていた。すると彼女の方からその贈り物とやらを冨岡の胸に無理矢理押し付けてきた。冨岡はおもむろにその包みに手を伸ばす。
「人からの厚意である贈り物を自ら進んで受け取らないなんて駄目駄目ですね。本当に心配になります。心配になりますからお返し強請ってもいいですか?」
しのぶはくすりと笑んだ後、深呼吸をした。空は変わらず青々としていた。
「口付けをください」
冨岡は最初は聞き間違いかと思った。思ったが、しのぶは再度同じ言葉を捧げた。流石の冨岡も瞳を見開いた。彼は何故そうなると言いたげな表情を隠しきれなかった。胡蝶しのぶとはそういう関係ではなかった。彼にとっても彼女にとってもお互いただの同僚だった。男女ではあったが。しかし。
「冨岡さんの今後の人生、こんな好機は二度と訪れないも知れませんよ。ほらほら」
この娘は酔っているのだろうか。酒でも飲んできたのだろうか。冨岡は理解に苦しむ。
「それなら私からさせていただきますので。でも残念ながら私からは届きませんので、ちょっと屈んでいただいてもよろしいですか? 三秒程度で構いませんので。ねえ、冨岡さん? ねえ」
彼女が彼にハンカチを贈った理由も口付けを強請った理由もその時の彼には分からず仕舞いだった。ただ一つ言えることがあったとするならば、あの時彼が感じた違和感は間違いではなかったということだけだ。
***
「ならば私も見ても良いんでしょうかね、夢」
しのぶは夕日をまっすぐに見つめながら言った。
「寒いですねえ、今日は。手袋をつけているのに手が凍ってしまいそうです」
ひらりひらりとスカートの襞を舞わせながら、冨岡の隣に居たはずのしのぶは冨岡の目前に現れる。沈みかけの夕日にしのぶの姿が映えた。
「……と言う訳で、冬の寒さに凍えて死んでしまいそうな私なんですけど」
しのぶは冷たくなった両手で冨岡の左腕を強めに掴み、ぴたりと歩みを止めた。自然と冨岡の足取りも止まる。冬の空は表情を変えるのが早い。つい先刻まで明るかったのに、あっという間に地平線に向かって太陽が零れ落ちそうになっている。
「私に死んでほしくなかったら冨岡さんのすることはひとつなんですけど、皆まで言わずともお分かりですか?」
しのぶは決して冨岡の腕を離そうとはしなかった。冨岡は思いきり大きく深いため息を吐く。
「何故お前は命を天秤にかけるんだ。かけるならもっと安いものにしろ。童話の中の話ではないんだろう?」
「さあ? どうでしょう?」
しのぶはいたずらに微笑み、精一杯の背伸びをした。空はすっかり日を落とし、辺りには暗闇が広がっていた。
END.