注意
※現パロ。二人が初詣に行く話。お付き合いしてます。それ以外の主立った設定は特にありませんが、捏造多々注意。※二人が会話をしているだけで何も起こりませんが、糖度はゼロではありません。
涅槃は何処や
ガタンゴトンと二人を乗せた電車が揺れる。隣に座る彼女の横顔を見れば、楽しそうな空気が伝わってくる。本日は年の瀬も瀬、大晦日である。現在の時刻は二十二時を越えたところだ。本来今日はこのような予定ではなく、テレビの音を聞きながら炬燵の中でぬくぬくと蜜柑でも食べながら年を越すつもりだった。それなのに何故か今突発的に電車に乗り、寺に向かっている。***
事の始まりは、彼女が数時間前に突然初詣に行きたいと言ったところからであった。紅白もニュースを挟み後半戦に差し掛かってきたところで、彼は彼女が作った蕎麦を啜りながら、ようやく年末を感じ始めていた頃合いであった。ついこの間クリスマスが終わり、餅を買い込み、納まらない仕事を納めてきたばかりであったので、彼は今日の炬燵の温かさをこの上なく心地良く感じていた。社会人の年末年始は慌ただしいのである。それが寝耳に水とも言うべきか、かくして冨岡義勇の平穏な年末は呆気なく壊されようとしていた。
「……初詣」
「ええ。そう言えば、冨岡さんとお付き合いを始めてからご一緒に行ったことがないなと」
「今年付き合い始めたのだからそれは至極当然のことなのでは」
「ですから! 是非初詣に行きたいと! 冨岡さんと私とのはじめての初詣です!」
冨岡義勇の彼女、胡蝶しのぶは声を弾ませて言った。彼女は頭脳明晰であるが、「初」が二度登場する奇妙な構文だった。
「……いいけど。お前、朝早く起きられるのか? 早めに行かないと多分混んでる」
「冨岡さんは何をおっしゃっているのですか? 寝ませんよ?」
彼女の突拍子もない発言に彼は喉に蕎麦を詰まらせそうになる。そもそも彼は食べながら喋るということが苦手だった。そして、彼女は朝が苦手だ。ただでさえ低血圧で朝が弱いというのに、寝ないで初詣に行くというのだろうか。新年早々薄氷を踏むような行動を起こしそうな彼女に義勇は息を呑んだ。出来れば、義勇自身もカウントダウンをした後、平穏に新年を迎えて早々に眠りにつきたかった。彼女が夜通し起きているというのであれば、付き合わざるを得なくなる。
「流石に寝た方が良いと思う」
「初詣から帰ったら眠りますよ。私も冨岡さんも。という訳で! 思い立ったが吉日、です。早速出掛ける支度をしましょう」
「待て」
義勇がしのぶのセーターの裾を掴めば、すっくと立ち上がったしのぶが振り返る。彼女は眉間に皺を寄せていた。
「何です? もたもたしていては年が明けてしまいますが」
「いつ行くんだ」
「いつって今しかないでしょう? 話聞いてましたか?」
聞いてはいたが、道理で会話が噛み合わない訳だった。義勇は決して初詣に行きたくない訳ではなかったが、今はそのつもりではなかった。せめて昨日のうちに言ってくれれば、と思った。そうすれば、今日の予定も彼の心算もどうにでもなったというのに。彼の中では、今年の大晦日は、彼の自宅に彼女が訪れ、蕎麦を作ってくれたのち、そのままゆったりと自宅で年を越す予定だったのだ。
義勇は仕方なくジャケットを羽織った。しのぶは化粧を直しているようだった。義勇は暗くて余り見えないから良いのに、と思いつつ口を噤んだ。
彼は折角作ってもらった蕎麦も余り味わえず流し込むように食べることになってしまい、残念に思う。時間をかけて食べる料理ではないことを承知はしているものの、彼女が作ってくれたはじめての年越し蕎麦だったため、最後の一口まで味わって食べたかった。義勇は哀愁を帯びながら炬燵の電源を消す。次に炬燵の温かさを享受する時には新年を迎えているのだろう、と思いながら。
***
このような経緯で現在二人は並んで電車に乗っているのであった。始発駅から乗り込んだため座れたが、同様に初詣に行くであろう人々がちらほらと途中駅で乗ってくる。大晦日の夜も更けてきた時間にも関わらず、車内はがらがらという程ではなく、座席が埋まる程には人が乗っていた。皆同じことを考えるのだろう。それもそのはずであり、二人が向かう先の寺院は年越し初詣で有名なスポットであった。突発的に決めたとは思えないしのぶの手際の良さに義勇は感心した。もしかしたら、彼女の中では自分に告げることなく事前に計画されていたことなのかも知れないと義勇はぼんやり考えた。同時に寺に着いてからの人混みを想像すれば、義勇の口からは溜め息が漏れ出た。
「ねえ、冨岡さん。初詣楽しみですねえ。ねえねえ」
隣に座る彼女がつんつんと義勇の右腕をジャケット越しに小刻みに突いてくる。義勇はスマートフォンの画面を見ながら「ああ」と小さく同意した。彼は寺に着いてからの導線を脳内でシミュレーションしていた。
「冨岡さん? どうしたんですか? 幸せが逃げてしまいそうな程に険しいお顔をしてますよ。もしかして、初詣には行きたくありませんでしたか?」
義勇が本音を告げれば、二人の歴史に残るであろう年末年始の大戦争が勃発することは、間違いなしであった。彼としても穏やかに年越しをしたかったので、言いたいことは全部呑もうと先程炬燵の電源を切った時に決めた。自分が耐えれば良い、そう思っていた。何より彼女の楽しみを奪う訳にはいかない。彼は元々寡黙ではあったが、家を出発してからというものの、出来るだけ本音が伝わることのないよう、いつも以上に言葉を控えることに徹していた。しかしながら、そんな彼の心掛けも即時に水の泡と帰すことになる。
「……別に」
予定調和とも言うべきか、彼の少ない言葉は見事に彼女の逆鱗に触れることとなった。たられば論を語るなら、彼が口下手でなかったのであれば、彼にも今とは違う人生があったのかも知れない。口下手だからこそ、今の彼の人生があるとも言うのだが。
「何なんですか。その態度。行きたくないなら行きたくないと一言おっしゃってくだされば良かったですのに。私だって言われなければ分かりませんよ」
彼女の声音は間違いなく怒りを内包していた。正月を迎える前に、最悪の展開を迎えてしまったと義勇は頭を抱えた。年明けまであと二時間を切っている。寺に到着するまでにはあと三十分程だろうか。このような険悪な雰囲気で年越しをしたくない。
「行きたくないなんて思ってない」
「伝わってくるんですよ、隣に居ると。嫌々電車に乗ってる冨岡さんのお気持ちが」
自分が謝ったところで事態が収束しないであろうことは、この時の義勇にも容易に想像が出来た。せめて寺に到着する前までには決着をつけたい。仮に、今の義勇が初詣の参拝をしたのであれば、間違いなく彼女の怒りが収まることを仏に願っていただろう。だが、流石の義勇とて、そんな願いは新年早々願い下げである。果たして、年末の彼に今年最後の奇跡は起こせるのだろうか。祈るのは仏に対してではなく自分に対してであった。彼が今持てる武器は自分の身ひとつのみ。彼が彼の身を持ってして出来ることも恐らく── ひとつのみ。ガタゴトと電車の走行音が二人の間に響いていた。
「……お前が作ってくれた蕎麦、もっとゆっくり味わって食べたかった。今年最後の大きな悔いが残ってしまった」
義勇が口を開けば、しのぶもぽかんと口を開けた。想定外の言葉だったからである。
「約束してからずっとお前が作りにきてくれるのを楽しみにしてた」
彼は、たどたどしく言葉を繋げた。電車が隣駅に到着したようで人々が新たに乗り混んでくる。そもそも自分はそんなに蕎麦が好きだっただろうか、と義勇は考えた。彼にとって蕎麦とは好物に上げるほどではないけれども、思い出した時に食べたくなるような、そのような食べ物だった。昔、後輩に蕎麦の早食い勝負に誘われたことがあった。勝つつもりは最初から毛頭なかったが、結果は惨敗だった。自分は早く食べるというのが苦手なのかも知れないと思い返す。それに、今の彼にはしのぶがはじめて作りにきてくれたという事実が何よりも重要だった。
「蕎麦ならいつでもいくらでも作りますよ」
「年越し蕎麦は特別だろう」
「では、また来年、」
「胡蝶は同じことを言われて納得出来るのか? だから今電車に乗っているのではないのか? 今のこの瞬間に代えられるものはない」
珍しくしのぶの言葉を遮るように義勇は口を挟んだが、彼は言ってからすぐに後悔した。これでは事態は三十分以内には収束しない。否、もうタイムリミットまでは三十分を切っていた。先程から五分は経過しているはずだ。出来るだけ穏便に、慎重に、会話を繋いでいかなければ彼女との和解は出来ないだろうに、むしろ火に油を注ぐようなことを言ってしまった。義勇は己の言動に自ら途方に暮れる。しのぶの周りの空気が凍てついているのが分かった。
「次の駅で降ります」
「……何を言ってるんだ、お前は」
完全に怒らせたと思った。とは言え、自分で蒔いた種だ。義勇はここまで来たら彼女の怒りが鎮火するまでとことん付き合おうと決心する。最早、今日が一年の終わりで明日が一年の始まりであることなど些細な問題だ。年末年始とて、普段と何ら変わりない毎日の連続の一部分だ。数日経てばまた仕事に行かなければならないし、毎週末の休日と一体何が違うのだろうか。義勇は己を言い聞かせる。
「次の駅で降りると言っているんです。聞こえませんでしたか」
聞こえていない訳がない。電車の走行音や人々の話し声に多少遮られるとは言え、彼女の声は義勇の耳にもはっきりと届いている。
「聞こえている」
「ならば、一刻も早く冨岡さんの家に戻りましょう。仕切り直しします。今からですと年越した蕎麦になるかも知れませんが。食べた後に寝正月になるのもまた醍醐味でしょう」
「だから何を言っている。蕎麦はもう良い。食べた。初詣はどうする」
「初詣は明日、明後日以降にでも行けば良いです。今日行かなくても初詣は初詣ですから」
しのぶの視線は車内案内表示装置の文字を追っていた。彼女は頭の中で彼の家に戻れるまでの時間を計算する。乗り継ぎに上手く行けば年を越す前には戻れるはずだ。戻ってから蕎麦を作れば間違いなく年を越すが致し方ないと彼女は妥協する。少なくとも、彼が望んだ通りカウントダウンは彼の自宅で出来るのだから。
そんなしのぶの新たな目論見は他所に、義勇はしのぶの本来の願いを叶えるべく、絶対に彼女を初詣に連れていくことを腹に決める。それが、今の彼の願いでもあったからだ。しのぶが座席から立ち上がろうとすれば、義勇は固く彼女の腕を掴む。それは、彼女が簡単には振り払えないほどの力の強さだった。彼女が多少の痛みを感じるかも知れないがやむを得ない。判断に迷う暇はない。彼にとっては緊急事態だった。
「良くない。今行かなければ、俺の今年の悔いが増えてしまう」
しのぶは視線を車内案内表示装置から義勇の瞳へと移す。車内に次の駅のアナウンスが無機質に流れる。間もなく到着するのであろう。
「俺が悪かった。過ぎたことこそ、もう良いんだ。今が大事なんだ。時は巻いて戻せないから。全部を選び取ることが出来たらどんなに良かったか。でもそれは無理な話だ。俺はお前と初詣に行きたい」
義勇は電車の窓の外を見る。暗闇の中に灯りがぽつぽつと灯っていた。この辺りは民家で、人々が思い思いの大晦日を送っているのだろう。もしかしたら、この中の或る人は思い通りの年越しではないのかも知れない。それでも今年は終わるし、来年は問答無用に訪れてしまう。
一方、しのぶは義勇の言葉を聞くなり、下唇を噛み締めた。先程塗り直した口紅の味が苦く感じる。
「……何で冨岡さんが謝るんですか。冨岡さんのお言葉にきちんと耳を傾けず、目前の己の欲を優先してしまった私こそが不甲斐なかったです。まさか冨岡さんがそこまで私の作った年越し蕎麦を大事に思ってくださっているとは思いませんでした。申し訳ありません」
しのぶが頭を下げると、義勇は首を横に振り、しのぶの腕を掴んだ手の力を緩める。しのぶは電車の座席に座り直す。もうこれ以上は何も言わずともお互い分かる。二人はしんと静まり返る。沈黙が心地良いと、互いに思う。電車は次の駅で人々の入れ替えを行い、発車した。この調子であれば、二十三時前には寺に着けるであろう。除夜の鐘にも恐らく間に合う。
「……人間の煩悩は百八あると言うが、それ以上の数かも知れないな。計り知れなくて恐ろしささえ感じる」
「……冨岡さん?」
「何でもない」
しのぶと過ごしているとあれがしたい、これがしたいと欲張りになる自分が居ることに彼は気付いた。人と付き合うということは、こういうことなのだろうと一人納得する。何はともあれ、無事に寺まで辿り着けそうで義勇はほっと胸を撫で下ろした。今年最後の奇跡を起こすことが出来た彼は自分の偉業に内心拍手喝采した。とは言え、つい十分前までは奇跡など起こせるとは思っていなかった。正に、九死に一生を得た心地であった。否、奇跡は急に起こるものであるからこそ、奇跡と呼ぶのだろう。
***
目的の駅に到着し、二人は電車を降りる。改札を抜け、寺へと続く道へ出れば、やはりと言うべきか見渡す限りの人だった。はぐれないように義勇はしのぶの手を握る。しのぶも応えるように握り返す。程なく除夜の鐘が鳴り始めた。初詣で何を願おうか── 二人はそれぞれの思惑を胸に、鐘の音に導かれるが如く人混みの中に吸い込まれていった。
END.
初出:2023年1月15日 ぎゆしのwebオンリー『御意の呼吸』ネットプリント