注意
※キメツ学園軸の中学生しのぶちゃんと冨岡先生。ぎゆしのよりも胡蝶姉妹の絡みの方が強いかも知れません。※匂わせ程度のぜんねず描写とさねカナ描写があります。
※公式スピンオフや小説版の設定は網羅しておりません。
魔法はまだ、
立春を過ぎて一週間ほど経ち、少しだけ日が長くなった頃、少女はいよいよ来月中学卒業を控える。卒業とは、一般的には人生の一大イベントであり、多かれ少なかれ人々に何らかの変化を齎す。変化は良いものであれ、そうでないものであれ、人々の心を駆り立てる。胡蝶しのぶ、十四歳(少女は二月生まれのためまだ誕生日が訪れていない)、ごく普通の女子中学生。彼女もまた卒業を目前にして年相応に気持ちを逸らせる生徒の一人だった。彼女の通うキメツ学園は中高一貫校であり、中等部から高等部に進学するための所謂受験はない。また、校舎も同一の敷地内に存在するため、中等部から高等部に進学することで通学ルートが変わる訳ではない。更には、高等部からの入学生が多く入ってくる訳でもないので、恐らく一貫校ではない者と比べた場合、大きく生活が変わるとは言えないだろう。ただ、この学園にはひとつだけ目に見えて変化することがあった──それは制服である。
キメツ学園は中等部が男子は学ラン、女子はセーラー服、高等部が男子女子共にブレザー服であり、現代の主流である二種の制服をどちらも楽しむことが出来る。これはこの学園の強みであるとも言え、世の学生の憧れの的でもあるそれを目当てに入学を望む者も居るとか居ないとかいう噂である。しのぶの後輩の或る男子生徒によれば、セーラー服もブレザー服もどちらか一方は選べないくらいどちらにも良さがあるという話だ。彼曰く、セーラー服は冬は漆黒、夏は純白であり、二色は対照的な印象を与えながら、同様に女の子の可憐さ、瑞々しさを引き立てると言う。一方で、ブレザー服は渋めの緑色のチェックが特徴的で珍しい。これを着ていれば、すぐにキメツ学園の生徒だと分かるものだ。彼は、決して派手ではないシックな雰囲気のブレザー服は中学生とは違った大人の雰囲気が醸し出されると主張している。なお、学ランについての言及は一切ない。また、あれだけ女生徒の制服について力説しておきながらも彼自身の運命の女性はこの学園にはまだ現れていないとか何とか。その運命の女性は他の誰よりも制服を着こなすに違いないと彼は予言しているが、それはまた別の話である。
***
しのぶはつい先日、両親に高校の制服を購入してもらったばかりであった。彼女は制服目当てにこの学校に入学した訳ではないが(最愛の姉が通っていたからというのが最も分かりやすい理由である)、今までとは違う制服を着ることを楽しみにしていた。
店の試着ではじめてブレザー服に袖を通した時は、あたかも世界が変わるようであった。これまでの三年間毎日着続け、慣れ親しんだ制服とは全然違う。決してセーラー服が悪いという訳ではない。良いか悪いかの問題ではなく、彼女の後輩も述べていた通り、中学生から見ればブレザー服の高校生は大人に見えるのだ。彼女は一日も早く大人になりたいと心を逸らせていた。セーラー服を脱いだら大人になれる──強ち間違いではないのかも知れない。未だ己の身体に馴染む様子のないブレザー姿を鏡に映しながらしのぶは想いを巡らせた。
既にキメツ学園に教師として勤めている姉の凛とした様を見ては、自分も姉のような大人になりたいとしのぶは思ってきた。そう口にすれば、姉からは「焦らなくても気が付いたらしのぶだって大人になっているわよ。きっと私より凄い大人になっているわ」と笑顔を纏いながら返されるばかりであった。しのぶは姉のように振る舞いたいと思っていた。彼女と姉は似ているけれども似つかない存在であった。しのぶにとっては、いつもおおらかに笑っている姉が眩しかった。姉はどんなに嫌なことがあっても笑っていた。しのぶは自分はそのようには出来ないと打ちのめされてばかりだった。姉妹とは言え、全く別の人間なのだ。しのぶは絶対に彼女の姉にはなれない。
***
かつて、そのことを学校の教師に漏らしたことがある。その教師は姉と同い年だった。尤も、他の教師目線での教師としての姉はどうなのかと尋ねていたのが事の発端であるが。
「すごい先生だと思う」
聞かれた教師は淡々と述べた。恐らくは別の教師に聞けばもっと饒舌に語ってくれただろう。しかし、しのぶは敢えてこの教師を選んだ。
「姉は、どのようにすごいのでしょうか」
しのぶは目を輝かせながら言った。相手はしのぶのまばゆい視線を躱すように窓外の雲の行き先を見る。もしかしたら今日は雨が降るものかも知れない、などと考えながら。
「不死川といつも笑顔で話している。俺は不死川とあまり会話が出来ない」
しのぶはこの教師を選んだことが失敗だったと頭を抱える。それはこの教師の個人の問題ではないのだろうか、と生徒であるしのぶでも察した。要するにこの教師は不死川に好かれていないのではないだろうかと。しのぶはうっかり口から零れ出そうになる言葉を呑み込む。やはりここは不死川先生に聞くべきだったのかも知れない。
「不死川だけじゃない。胡蝶先生は他の誰とでも仲良くなれる。妖怪とも仲良くなれるらしい。宇髄が言っていた」
「……妖怪?」
全く見当していなかったものが登場し、しのぶは目を丸くした。
「ああ」
姉には不思議な力があるとかねてより思っていたが、妖怪が見える話は自分には余りしてくれなかった。しのぶは過去の姉の言葉を思い出した。どうやら能力を有しない者が安易に触れるのは危険らしい。そういう理由からも自分はキメツ学園に赴任したのだとか言っていた気がする。
しのぶは怪談話が好きであったが、霊とか妖怪の類は己では見たことがなかった。だからこそ興味がそそられるものであったが、同じ環境で育ったはずの姉には能力が備わっていると言うのであれば、なんたる運命だろうか。これは恐らくたとえしのぶが大人になったとしても得られない能力である。彼女は途方に暮れた。
「姉は同じ血を引いているのに私とは程遠い人です。私はきっと妖怪とは仲良くなれない」
実際に妖怪に出会えば、怪談話のそれとは異なるのだろう。当然の事ながら、当事者と語り部では見え方が違う。だからこそ、語り部が必要なのであるとも言うが。
しのぶが深刻そうな顔をしていれば、目の前の教師はため息を零した。窓の外には巨大な入道雲が現れていた。これは一雨降られるな、と彼は思う。今日は傘を持ってきていたかどうか思い出せない。生徒は俯いていた。
「……ならなくて良いんじゃないか」
彼がぼそりと聞き取りづらい声で言葉を放てば、しのぶは目線を職員室の床から教師に移した。彼女は、思わず「え」と声を漏らす。教師はしのぶではなく窓の外を見ていた。
「博愛主義になれたらどんなに良いか。でも無理な話だ。だって相手は妖怪だぞ。大多数の人間は仲良くしようとは思わない。だからこそ、お前の姉がすごいと言える所以でもあるが」
しのぶは元々大きな瞳を更に見開いた。
「先生は綺麗事を言うのだと思っていました」
教師とは生徒の模範となるようなことを言わなければならないのではないだろうか。まして、この教師は誰よりも校則に厳しい。だからこそ、一層本人がそのように振る舞わねばならないのではないだろうか。しのぶには何も分からなかった。
「莫迦なことを言うな。教師だって人間だ」
しのぶの気など知らない呑気な入道雲はゆったりと空を泳いでいた。数時間後には空は色を変えてしまっているだろう。
「私は早く大人になりたいんです。姉のような人になるためにも」
しのぶの必死な訴えを聞くなり、教師はいよいよ眉を顰めた。しのぶもたちまち眉を吊り上げる。こんな顔をしたい訳ではないのに、と思いながら。
「……大人になったら姉になれるとは思うなよ。俺だって俺の姉にも尊敬している人にもなれていない」
しのぶの譫言は瞬時にして切り捨てられる。普段はぼそぼそと言葉を紡ぐ教師であったが、この時の言葉ははっきりと輪郭を成していた。
「甘い考えは捨てることだ」
教師が厳しい声音でそう言うと、ぽつりと雫の零れる音がした。窓の外を見れば、予報よりも遙かに早く、空は機嫌を損ねていた。
どうしてそのようなことを言うのだろうか。しのぶの心の中には喉に魚の骨が引っ掛かったように、その日の教師──冨岡義勇の言葉が残っていた。同時に、絶対にすごい大人になって彼を見返すのだと、彼女は持ち前の負けず嫌いを発動していた──たとえ自分は自分の姉のようにはなれなくとも。
***
ひらりひらりと自宅のリビングを深い緑色のチェックが蝶のように舞う。ダイニングテーブルの前でぴたりと止まれば、少女ははにかみながら言った。
「姉さん、見て」
そこには新しい制服を纏ったしのぶが居た。彼女の姉は花のような笑顔で妹を迎える。
「とっても似合っているわ。流石しのぶ。高校生活が待ち遠しいわね」
姉はセーラー服姿のしのぶに思いを馳せながら言う。子供だと思っていた妹は着実に年齢を重ね、いよいよこの春に高校生になる。姉としては、感慨深くなるというものだ。
「そうね、私また大人に一歩近付いたわ」
しのぶは誇らしげに言う。姉は笑顔はそのままに哀愁を帯びるように、しのぶには気付かれない程度、ほんの僅か眉を吊り下げた。
「ねえ、姉さん」
「何かしら」
「私、早く大人になって冨岡先生を見返したいのよ。だからこの制服姿も早く見せたいの。高校生って中学生よりも大人でしょ?」
何を言い出すのかと思えば、全く明後日の方向である妹の言葉に姉は絶句した。制服姿を見せたいのは分かるとしても、見せたい理由が姉の予想だにしないところであった。これをこのまま冨岡に伝えてしまったとしたのであれば、彼を困らせることは間違いないであろう。姉は未来の冨岡の心中を察した。同時に、冨岡にそのような未来を迎えさせないためにも自分は妹を正しい方向へ導かなければならないと決心した。
「しのぶが冨岡先生に制服を見せたいのは本当に先生を見返したいからなのかしら? それに、新しい制服は四月が訪れれば、それからの三年間は学校のある日は毎日見せることの出来るものよ」
しのぶは姉の言葉に首を傾げた。確かに、今後の三年間はこの制服を着続ける保証はある。突然に学校側が制服を変えることさえしなければ。それはそれとして、どうして大人は子供の気持ちを分かってくれないのだろう。しのぶは逸る気持ちを抑えられなかった。
「私は早く大人になりたいのよ」
「うん、だからこそね──」
姉はしのぶの両肩を自身の両腕でやさしく包む。
「相手が忘れられないくらい強烈に最後にセーラー服のしのぶを見せるのよ。その記憶は、しのぶが大人になった時におおいに生きるわ」
姉はこれ以上ないほどに花が綻んだように笑った。そして、しのぶの耳許で小さく付け加える。
「……姉さんはセーラー服のしのぶも好きだったなあ」
その時、しのぶははじめて姉の寂しそうに垂れ下がる眉に気が付いた。
***
三月中旬の或る日。中等部の卒業式。今年は開花が早く、すっかり桜が咲き誇っていた。キメツ学園では高等部の卒業式の方が先に執り行われるため、高校三年生が卒業してしまった校内はどこかがらんとしていた。
しのぶは筒に入った卒業証書を右手に持ちながら、或る教師を探していた。冨岡先生である。姉の言葉通り、最後に彼の鮮明な記憶に残るようにセーラー服を纏った自分を見せつけようと思っていた。姉の真意は未だに理解出来ないままではあったが。
しのぶが辺りを見回していると、校庭の端にぽつりと黒い点がひとつ見えた。流石にこんな日はいつも真っ青なジャージ姿の体育教師もスーツなのである。しのぶは目的の彼を見つけるなり、「冨岡先生」と透き通った声で呼び止め、漆黒のプリーツスカートをひらりと舞わせながら彼に駆け寄った。
「胡蝶か」
「胡蝶ですけど」
冨岡にはどう見てもしのぶがたまたま通りかかったようには見えなかった。と言うことは、自分に用があるということである。冨岡は何故胡蝶しのぶが自分の元に駆け寄ってきたのかいまいち理解が出来ていなかった。しかしながら思い返してみれば、これまでもこの少女はそのような振る舞いをすることがあった。冨岡にしてみれば不思議なことだった。担任でもない自分にわざわざ声を掛けるなど──そこまで思い至ったところで、以前同僚が「考えても仕方がないことは考えるな」と言っていたことを思い出す。ならば、今の自分の取るべき行動はひとつである。
「卒業おめでとう」
しのぶは冨岡に短いながらも適切な祝いの言葉をかけられるなり、自分が何を言いたかったのか頭が真っ白になった。自分は頭の回転が速い方だとは思っていたがどうしてなのだろうか。中等部は今日をもって卒業するものの、四月からもこの学園に通い続けることには変わりはない。クラス替えはあるだろうけれども、同じ学校には通うのだから元クラスメイト達とも今生の別れではない。幸いにもそれ以外の大きな別れもないはずだ。それなのにどうしてだろうか。卒業というものはこんなにも人の情緒を狂わせる。先日まではあんなに新しい制服に、大人に、焦がれていたはずなのに。しのぶは言葉を失い、こくりと一度だけ頷くのが精一杯だった。セーラー服の自分を忘れないでほしい──そのたった一言も言えないまま。少女はすぐさま、その場を去っていこうと踵を返した。このままここに居たら、見返したい相手に恥を晒してしまうかも知れないと危険を察知したからだ。
「待て、胡蝶」
出来るだけ早く、黙って去りたいのに、何故か呼び止められる。そんな有名な歌があった気がする。今は頭が回らないので思い出せないけれど。
「ついてる」
振り返りたくないのに、自分の右肩に一瞬触れた温もりに少女は背後を見遣る。冨岡は漆黒に浮かび上がった小さな桃色の桜の花びらを掬いとった。
「……桜」
冨岡は掬いとった桜の花びらを空に透かす。つい先程まで樹木に宿っていた花はこうしてあっという間に散ってしまう。しのぶは相変わらず言葉が出なかったが、やっとの思いで言葉を繋いでいく。
「先生、それ……ください」
彼女は自分でも何を言っていたか分からなかった。冨岡は困惑したような表情を纏い、自身の手の中にある花びらをちらと見る。
「これか? なんで」
冨岡には理解が出来なかった。散った桜の花びらはたちまち朽ちる。桜に限らず、役割を終えた生き物の辿る末路だ。押し花にするにしても小さい桜の花びら一片だけを一体どうすると言うのだろうか。
「欲しいと思ったからです」
そう言われても、と冨岡が渋っていると、しのぶは冨岡の手中の花びらを背伸びして取ろうとした。その時だった。二人のうちのどちらとも言えない手のひらからそれが零れ落ちたのは。
「……どこかに行ってしまった」
冨岡がそう言うと、しのぶは大層残念そうな顔をした。花びらはひらひらと舞っていずこかに紛れてしまった。もしかしたら他の沢山の花びらと混ざってしまったかも知れないし、一枚だけぽつんと寂しく在るのかも知れない。
「花びらならあるが」
数多に花びらが溜まった場所を指しながら冨岡は言った。しかし、恐らくそうではないだろうことくらい、鈍感な冨岡にも理解は出来た。未だ少女の目的は謎に包まれたままであるが。
「……とは言え、散った花びらがすぐ朽ちることなど、花や植物に精通した姉が居るお前なら分かるだろう」
冨岡が呆れたように付け加えれば、少女は身を乗り出しながら返す。
「そうじゃないんです! あれが良かったんです! 代わりはないんです! 朽ちてしまったとしても!」
しのぶはいささか正気を取り戻したものの、大人に近付くはずの自分が駄々を捏ねてしまっていることに気が付いた。これでは近付くどころか大人が遠のいてしまう。過ぎたことは綺麗さっぱり忘れて流すということも大人には大事なのかも知れない。そう思いながら、何か別のことを言うために脳を働かせようとするものの、今日は何だか鈍い。
「──じゃあ、」
しのぶが言葉を選び惑っていれば、冨岡はおもむろに口を開く。
「そんなに桜の花びらに拘るなら、高等部を卒業する時だな」
教師の意外な言葉にしのぶは驚いた。同様に、何故か桜の花びらに拘る自分にも驚く。姉の真意も分からなかったが、最早自分自身の真意も分からなくなっていた。本当に自分は桜の花びらが欲しいのだろうか。教師も言っていたように、散った花びらはすぐに朽ちて茶色く変色してしまう。それはもう人々が知り、愛してきた桜とは言えないであろうに。
「今日と同じ状況になるためには難易度は上がるが。何より高等部の卒業式は早い。桜は開花していないかも知れない。それでも、」
「……私は大人になって早く先生を見返したい」
教師の言葉の途中で少女は遮るように言う。少女の唐突な言葉に教師も驚く。先ほどまで桜の花びらに異様に拘っていた少女の矛先が己に向くとは思っていなかったからだ。
「大人になりたいのは姉のような人間になるからではなかったのか」
「それもありますが」
しのぶはますます自分がどうしたいのか分からなくなっていた。その時、タイミング良くキーンコーンとチャイムが鳴った。しのぶはこの後集合写真を撮る予定があったことを思い出す。
「タイムリミットのようです。さようなら! 冨岡先生! 四月には高校生になってパワーアップした胡蝶しのぶにびっくりしてくださいね!」
そう言いながら逃げるように少女は走って去っていった。一人残された冨岡は半ば呆れていた。嵐のような数分間であった。季節は春真っ盛りであるというのに。メイストームだって四月から五月の頃合いだろう。嵐が過ぎ去り、先ほど冨岡が掬い上げた桜の花びらはいよいよどこに行ったのか分からなくなってしまった。
「……もう充分びっくりしている」
桜は満開に咲き誇っている。今週末は雨だと言う。冨岡はだんだんと小さくなっていく黒点を見つめながら、セーラー服の少女に心中で別れを告げた。
END.
初出:2023年2月11日 kmt男女CP総合webオンリー2023『ふたりはいつまでも2』展示作品